Petty Owlの森

全て個人の感想と言葉遊びによるものです。

疑問

音楽に付く振り付けにおいて、誰でも踊れる振り付けが数字を伸ばす一つの要因だとして、

素人じゃ踊れない振り付けをする事が作品の芸術性みたいな部分を担保してると思い込むのは正しい事なのかっていう疑問。

 

最近この「踊り易さ」と「踊りにくさ」の二極化が激しいと感じる。

しかし、結局「芸術」がよくわからない気難しいモノ扱いで、変に霧がかったその性質を「オシャレ」と解釈し、それが非本質的な「深さ」のような形となって見えるから起用されている様に自分は見える。

 

真に本質的な部分は一見して伝わる部分にないと思うならば、似てるものでも高いレベルの作品とそうでないものを見分けられる知識はあって損がない。

 

コレオグラファーの作品に対する振り付けの意図(映像含め歌詞や音楽との方向性の一致、聞かせたい音に対するアプローチや伝えたい感情の表現の方向性など)

身体表現に託してる解釈の部分(表情、動作、視線誘導的な話)への理解度を高めたいし、その周辺知識を学びたい。

果てには、動画広告然り、映像媒体での宣伝が主流の中で、身体表現に任される役割は大きいし、その’’撮り方’’を知ってる人は結果として仕事に結びついていると思う。

一介の芸術学部生の思考