Petty Owlの森

全て個人の感想と言葉遊びによるものです。

マジでどうってことないメモ

2022/10/20現在、今に始まった事ではないがK-POPの躍進が相変わらずすごい。

 

K-POP自体は小学生の時にKARAや少女時代で影響を浴びており、かく言う自分も少女時代の「Genie」とかは今でも歌えるしAKB48とはまた違う“お姉さんな感じ”←当時の語彙力の限界

が自分にとにかく刺さった。

 

10歳やそこらの子が聞く“ガリークラッシュ”は“お姉さんな感じ”なのがかわいいよな。

(今だからこそだけど歌詞すごいね)

 

 

そこから全くK-POPは聞かなくなったのだが、突如おすすめに出てきたBTSの「DNA」を聴きそこから三日三晩彼らのコンテンツを摂取しまくり、見事ジョングクの事しか考えられなくなった大学3年の夏が懐かしい。(ちなみにDOPEが好きだった。MVのジョングクは街の治安維持なんかに従事している場合ではない美しさだと思った。)

 

あとMVがとにかく面白かった記憶が強く、楽曲とビジュアルが良いとコンロの火ですらカッコよく見えるのだ。(「FIRE」 参照)

 

 

そんなこんなでK-POPの入門としてこれ以上ない王道から入ってきた私だが、幸運にも当時音楽ビジネス系のゼミにいた事もあり「カルチャーと音楽」の理解を捗らせてくれた。(語るほどのことではないので書きはしないけど、、、)

 

 

いやめちゃくちゃどうでもいいこと書いちゃった。

違うんや、、、もっと簡単でどうってことないことを書きたいだけなんだよなぁ、、、

 

本題は、K-POPアイドルの楽曲にあると強いものについてだ。

 

一つは、メンバーが楽曲制作にガッツリ関わる事などは大きな要因だと考えられる。

 

でもこれだけでは説明不足も甚だしいだろう。

なぜなら、そんなんほとんどグループがやってるわいってなるからだ。

 

そう言う意味でこの要素についてもっと細かい見方が必要なのかなと思う。

(アイドル、特に近年のK-POPアイドルに関して言えであろう命題「世界中にファンを作る」と言うことに関して、少し考えただけでも本当に多く要素が複合的に意味をなしていると思うので決してあまり褒められた考えではないのだろうが、これは自分の考えなので頭の整理的な意味も兼ねて書いていると言うことだけ言っておきたい、、、、、一応ね、、、?)

 

わかりやすくいくつかのグループで考えてみる。

 

よく聞くし、実際散見されるのはラップ部分のリリックをメンバーが描いている場合で、大きく影響してるがそれは周知の事実だし、突出して書く必要がない。

しかし自分が感じたのはそこではなく、楽曲にグループ(或いは特定のメンバー)の持ち前の雰囲気が出ていると強いのでは?と言うことだ。

 

あったりまえぇぇ、、、、、

だから言ったでしょ、マジでどうってことないって、、、

 

Stray Kidsなどはわかりやすいと思う。他のグループにない低い声のラップ、全曲通してメロディ・掛け合いの統一感がある。クオリティ・コンセプトの担保が仕事のプロデューサーの手腕がまさに光る部分だと思うし、それに答える本人たちもすごい。尊敬しかない。

BTSの場合、ラップ部分が他より圧倒的な個性がある様に思える。そここそ一貫して彼らの背骨の様な気がするし、だからこそ安心感がある。あと表題のみならず男性にしてはキーが高い曲が多いのも意外と特徴かも、、、?

女性アイドルにもあるんだけど眠くなってきた。

ここまで書いておけば後で見てもわかるっしょ!

 

何が言いたいって結局全てのクリティが担保されてても長く活動する中で「音楽的らしさ」の追求は避けられないってこと。

これを一人でやろうってんだから病んで当然。わけわからない文章書いて当然。

だからって誰かとやって分業して上手いことやろうって考えのやつは何やったって難しいやろうし、まだまだ考えないとね、、、

 

 

 

全てに意味を見出すことは必要か?

自分の性分的に作品を作る、何かを学ぶ上でその行動を理由づける「意味」の様なものがあると捗る、、、

 

、、、と思っているのだが、どうしようもなく疲れる瞬間が定期的に訪れる。その度に性に合っていないのではないか?と思うが、適当に指定良い部分とのバランスが取れず崩壊する。

 

その都度新しい学びや、刺激が別角度からの視点を見せてくれるのだが、いかんせん時間とのコスパが悪い。

 

物事の表面から全体を捉えるような愚行をせぬよう日々気をつけているが、腰が重くなる上に誰かと何かを作ることであったり、感情が先走るような衝動に出会うことが少なくなる感覚が否めない。

 

自分は金銭のために音楽をやっているわけではないと思い詰めるたびに手が止まる。

 

自分の尊敬する音楽と商業音楽の間に自ら溝を生み出しているのかもしれない。

そもそも商業音楽という極めて曖昧なものについて悩み、答えのない芸術に対して、「コンセプト」と「意味」を履き違えた結果なのだろうか?

 

配信に自己の音楽を載せるという行動自体はとても満足している。

「誰にも物言われない音楽」を体現しようというコンセプトにも疑問はない。

なのに次回以降の音楽について草案を練る度に全くもって自由でないことに気が付いてしまう。

ごく限られたコミュニティに評価してもらう心地よさも関係しているだろう。

音楽の評価軸を自己の感覚にしか持ってこれないが故の不安もあるだろう。

正直に生きられない自分のせいでもあるだろう。

 

クオリティ然り、時間然り、制限のない制作の苦しみを改めて感じている。

思い返せば「GIFT」も自分の誕生日という期日を設けて初めて体現した物だった。

「GIFT」公開前、「不可逆」の制作にあたっていた際に、Phritzさんのインタビューの中に「Creative Limitation」という言葉があった。

Phritzさんの語っていた内容とは少し異なるが、制限を設けることで作品を既存のレールから外してくれると自分も感じた。

音楽との付き合い方は尽きぬ悩みだが、最近は、冒頭でも書いた通り意味を見出す行為に疲れているので、特定の相手や事象に絞って制作してみるのも良さそうだ。

まだ自分には絶対音楽は作れないし、その真価すら掴めていない。

性分の話に戻れば私は標題音楽の中で過ごしてきたのだから。

商業音楽と標題音楽、この二つについてもう少し考えていく必要がありそうだと感じた。

 

 

 

1st. EP 出した

1st. EP [GIFT]

自分の誕生日に曲を出した。

 

誰のためでもない自分のための曲

 

周りの評判は良い。

 

実際良いと思う。

 

ひとまず一聴し、

 

良いと思ったら曲の詳しい意図をinstaに飛んで見て欲しい。

 

意欲的に次作も作りたいのだが、気持ちの浮き沈みが激しい。

 

音楽に対し、気軽な気持ちと複雑な気持ちが交互にやってくる。

 

とにかく複雑で、考え始めると体調が悪くなる。

 

曲を作り続けることで解決する気がするので、ひとまず作るというのが現在の自分の決定であ

 

り、自由ではなくなった思考に自由のメスを入れることで打破しなければならない。

 

リリースした当初は、ある種の若々しい感情でリリースした。

 

大学の先生にも若々しいと講評された。

 

ある友達は聞く環境で景色を変える曲だと、

 

またある友達にはお前のやりたい事をやっている曲達だと言われた。

 

一向に悪い気はしない、が、音楽は難しい。

 

リリースして1ヶ月が経ったが、自分にとっては長く反省の多い1ヶ月だった。

 

無知さ、要領の悪さには特に嫌気がさした。

 

実体験に勝る経験は無いと自分でも思うが、同時に自分の愚かさを痛感する。

 

前に進むことで無知を知る。

 

知らない事を知って落ち込んでいるわけではない。

 

見つけたものが既製品だった時の様な恥ずかしさのことだ。

 

学ぶことでその先に行けると信じて、今を懸命に学ぶ。

 

長い時間悩んだ末の結末が調べて3分でも、決して異なるのはお互いのルーツであり過程。

 

その過程は自分だけのものだから、

 

誰のためでもない自分のために曲を書いて

 

その過程に目を向ける。

 

 

 

 

 

 

論考

この動画とても面白いから貼っておく。

 

 

https://youtu.be/sxDT1_7BJ50

 

大学とかでこういうの学べば良かったなぁ

 

美を語る事は出来なくても映画、小説、音楽などという像によって美を指し示す事は出来るはず。

 

 

末吉を持ち帰る

おみくじをした

 

 

いろいろ仕掛けていかなきゃいけない年なので。

 

佐世保と地元でおみくじを引いた。

 

佐世保では大吉を引いた。

弟も大吉だった。

勝った。

その後もミルクック食べたら110点の大当たり。

帰りの空港の買い物では弟のと合わせて777円と言う神がかった仕様。

 

 

こりゃあ、もう勝ったわ(儲かったわ)と季節に合った寒いけど縁起の良さそうなギャグを飛ばした。

 

帰ってきて早々に土地神様へのお詣り。

 

母親同士が仲良い同級生の子(昔から遊んでた)が巫女をやってた。財布を持っておらず親にお守りを買われる始末。とんでもなくダサい。俺大吉なのに。

 

 

いくつかの神様にお参りをした。

 

猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ:みちびきの神様だよ!行った方がいいね!)

 

菅原道真公(勉学の神様!)

 

木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤビメ:安産とか割と守備範囲広めの神様!行って損なし!ちなみに鬼に求婚されるくらい美人だったらしい。以下超要約→木花之佐久夜毘売と姉の石長比売の父は瓊瓊杵尊に2人を献上するが、容姿の醜かった姉の石長比売はかえされてしまいます。それに怒った父が姉は命が岩の如く永久である事を願い、妹には木の花が咲き満ちる如く栄えるようにと決めたからです。姉が返された事で天神の子の寿命は木の花が散るように儚くなるでしょう。と言った。故に歴代天皇の寿命は短いというお話。良いに越した事ないかもだけど、容姿だけで見たらダメだね!!)

 

 

、、、神話って良いよね!

 

 

今後綺麗な人を見たら木花之佐久夜毘売か!ってツッコめるようになった所で、

 

 

情けない自分を払拭する為にここらでいっちょ大吉出してやりますかとおみくじ箱に百円を投入(親出資)

結果は末吉。信じられない。

周りの目が冷ややかだ。

林の中にそそくさと逃げ、お告げを見る。

 

 

思ったより良い事が書いてあり、結ぶか迷う。

おみくじの順番の確認と一緒になぜ「末吉」と言うのかを調べた。

 

末広がりの「末」らしい。これから良い方向に転ずるという意味があるみたいだ。

 

大吉は今がピークで幸せという意味でもあるらしいから一概に大吉が一番良いと言う訳でもない。だから結ばずとも良いらしい。

(ちなみに結ぶ時は聞き手の逆手で結ぶ方が難を超えて吉に転ずるらしい)

 

 

持ち帰る事にしたがやや落ち込みながら帰路についた時、気付いてしまった。

 

俺は大吉と末吉を引いた。

つまり今がピークであり、これから末広がりに更に広がっていくと言う事じゃない?

天才すぎて頭痛い。

めでたいイタい奴だね

間違いない。

素晴らしい。

真了不起!

उत्कृष्ट!

رائع

¡espléndido!

amazing!

言語で世界一周したところでもう勝ったわ

 

 

 

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↑こう言うのが一番ワクワクするよな

 

石油ストーブの上のやかん

年末から年明けは佐世保で過ごした。

搭乗者全員帰りたく無いムードの機内で書いてる。

 

今年はいつもより東京へ帰る事への嫌気が少ない。

多分東京でやりたい事が多いからだ。

今回はそれを確認するための束の間の帰省とも言える。

 

俺は大の祖父祖母っ子で、コレからも変わらない。ここでは祖父祖母から学ぶ事がとても多い。今日はコレについて書き残したくて残り35%の携帯を働かせている。

 

話は戻って帰省早々、家に着くと祖母にコーヒーを出された。石油ストーブの上でやかんと一緒に温めてくれてた。

 

貰ったコーヒーを飲みながら石油ストーブに視線を送ってみる。

 

昔から石油ストーブの上ではいろんなイベントが起こっていた。かんころもち(美味しい)を焼いたり、カッチカチのアイス(美味しい)を溶かしたり、、、、

 

毎年帰省するたびに体重が増える原因を見つけ視線がキツくなった。

 

 

だがしかし、石油ストーブの上にやかんを置くだけで

1.部屋が暖まる

2.お湯がいつでも出来てる

3.水蒸気で部屋の湿度が保たれる

 

 

すごくない?

 

 

冬場の天敵と言っても過言でない室温と湿度を解決しつつライフハックまでこなすとは、、、

海外の使えないライフハック紹介してる奴らに勧めたい。

 

任天堂の前社長か誰かが「アイデアというものは諸問題を一気に解決出来るものだ。」みたいな事を言ってたけど、本当にそうだと感じる。

ガスも電気もままならない時代を支えた石油ストーブ。だんだん尊敬の念が生まれ始め、自分の視線がEnyaを聴く時と同じになっている事に気づくのはまだ先の事。

 

 

 

携帯の充電が残り22%とそこそこ危なくなってきたがもうすこし石油ストーブの上のやかんについて掘り下げていきたい。

 

これがもし「石油ストーブ」ではなく「電気ストーブ」だった時の話だ。

 

石油消費国の日本が近年のSDG'sの影響でひどく指摘を受けているみたいだが、未だ本質的なSDG's商品に出会ったことのない僕にとっては実感のない話で、少なくとも石油ストーブの良さを語れない世の中にはなって欲しくないと願うばかりだ。(マジでやめてほしい)

 

電気ストーブを悪く言うつもりは一切ないが、新しくなればなるほど電化製品は多機能化&自動化が進んでいる気がする。

 

しかし、諸問題を解決する手立てとして機能をマシマシにすると言う事に、自分は一才の美しさを感じない。

あぁ〜エゴだなぁ〜うるせぇなぁ〜と自分でも思うがしょうがない。だってそう思っちゃったんだもん。

 

全てを解決した「ストーブの上のやかん」を見た時に「自分」は感動できるのか自問してみる。美の価値観と表現の根幹は「自己」に投影されるモノで、自分が洞窟の囚人という事実を忘れてはいけないなと感じる。

 

石油ストーブの上のやかんには美しさがある。      

                                        Petty Owl(1999〜)

↑偉人みたいすね

 

 

 

祖父からは自分もルーツみたいなものを感じる帰省だった。

 

自分は祖父と同じ部屋で寝るのだが、ウチの祖父は齢70を超えていながらも寝る前にネットサーフィンを2、3時間するのが趣味という最高にイケイケな祖父だ。

 

二日目の夜に「コンドルは飛んでいく」を俺にオススメしてくれた。見事にハマった。

敬愛するenyaも元を辿れば祖父が好きだったらしい。やっと自分の視線がゆるゆるだと言う事に気づいた。

 

目を閉じて思い返す

 

絵を描かせれば上手いし、モノを作らせたら大体のものは形になる。そんな祖父だ。

ね?イケイケなのよ。

ガレージの中には曽祖父からあるであろう沢山の農具や機械があって、何回帰省しても自分の好奇心が満たされる事が無い。紐の結び方は俺の8倍くらい知ってるし、木とか花とか虫とか地図とか、冗談抜きで俺の60倍くらい知ってる。最高の先生であり最高に尊敬できる人。

ちょっと天邪鬼な所はご愛嬌ってことで。

 

 

今の自分を構成していると感じる。

感謝を形で返していこうと思った。

今年はフォークソングと優しい曲もたくさん作っちゃおっかな!!

 

そんなこんなで今年の年末年始はリラックスしつつ良い刺激になった。

 

目標は言葉にしていく方がいいとどこかで聞いた事があるので今年の目標を述べて締めようかな

 

今年は「周りに制作業で稼いでるって思わせる」事を一つ目標にしたいな。いい加減自分の音楽とか今関わらせてもらってるものが遊びの延長とか思われるのも癪なんで。

 

言葉以上に大変な目標って事を僕の周りは理解してくれると思うから、どうか今年もよろしくお願いしますね。

 

 

まぁほとんど誰もこのブログ見ないんだけどね!

 

 

携帯の充電も残り14%となり、あと少しで東京に着くみたいなのでここで終わり。

 

大好きな場所に大きな愛を残して。

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